愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか (講談社現代新書) epubダウンロード

愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか (講談社現代新書)

によって 堀井 憲一郎


4.8 5つ星のうち(16人の読者)

愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか (講談社現代新書) epubダウンロード - 内容紹介 なぜキリスト教信者ではない日本人にとっても、クリスマスは特別行事になっているのか? それは実は、力で押してくるキリスト教文化の厄介な侵入を――彼らを怒らせることなく――防ぎ、やり過ごしていくための、「日本人ならではの知恵」だった! 「恋人たちが愛し合うクリスマス」という逸脱も、その「知恵」の延長線上にあったのだ――キリスト教伝来500年史から、極上の「日本史ミステリー」を読み解こう! あなたは、ふしぎに思ったことがないだろうか? 「なぜ日本人は、キリスト教信者でもないのに、クリスマスを特別行事と見なして、毎年毎年、あんなに大騒ぎするんだろう?」 本書は、「日本におけるクリスマス祝祭の歴史」を丹念に追いながら、この謎に迫ってゆくスリリングな教養書である。1549年のキリスト教伝来から始まる「降誕祭」の様子を、史料から細かく辿っていった。 実際に辿ってみると、「クリスマスにおける狂瀾」は、明治時代から始まったことがわかる。現在の、「恋人たちのクリスマス」は、明治の馬鹿騒ぎの流れの末にある、と考えられるのだ。そしてその、恋人たちのクリスマスのルーツは、実は、日露戦争の勝利にあることにも気づくだろう。 本書を読み進めるとやがて、「日本のクリスマス大騒ぎ」というものが、力で押してくるキリスト教文化の厄介な侵入を――彼らを怒らせることなく――防ぎ、やり過ごしていくための、「日本人ならではの知恵」だったのか! と納得するであろう。「恋人たちのクリスマス」という逸脱も、その「知恵」の延長線上にあったのである。 さあ、キリスト教伝来500年史を辿り、クリスマスをめぐる極上の「日本史ミステリー」を味わってみましょう。序 火あぶりにされたサンタクロース1章 なぜ12月25日になったのか2章 戦国日本のまじめなクリスマス3章 隠れた人と流された人の江戸クリスマス4章 明治新政府はキリスト教を許さない5章 「他者の物珍しい祭り」だった明治前期6章 クリスマス馬鹿騒ぎは1906年から始まった7章 どんどん華やかになってゆく大正年間8章 クリスマスイブを踊り抜く昭和初期9章 戦時下の日本人はクリスマスをどう過ごしたか10章 敗戦国日本は、狂瀾する11章 戦前の騒ぎを語らぬふしぎ12章 高度成長期の男たちは、家に帰っていった13章 1970年代、鎮まる男、跳ねる女14章 恋する男は「ロマンチック」を強いられる15章 ロマンチック戦線から離脱する若者たち終章 日本とキリスト教はそれぞれを侵さない 内容(「BOOK」データベースより) キリスト教伝来500年史から読み解く極上の「日本史ミステリー」。 著者について 堀井 憲一郎1958年生まれ。京都市出身のコラムニスト。著書に、『若者殺しの時代』『落語論』『落語の国からのぞいてみれば』『江戸の気分』『いつだって大変な時 代』(以上、講談社現代新書)、『かつて誰も調べなかった100の謎』(文藝春秋)、『東京ディズニーリゾート便利帖』(新潮社)、『ねじれの国、日本』 (新潮新書)、『いますぐ書け、の文章法』(ちくま新書)、『恋するディズニー 別れるディズニー』(新潮文庫)などがある。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 堀井/憲一郎 1958年生まれ。京都市出身のコラムニスト(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る

愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか (講談社現代新書)の詳細

本のタイトル
愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか (講談社現代新書)
作者
堀井 憲一郎
ISBN-10
4062884011
発売日
2017/10/18
カテゴリ
ファイルサイズ
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以下は 愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか (講談社現代新書) の最も正直なレビューです。 この本を読んだり購入したりする場合は、これを検討してください。
日本におけるクリスマスの歴史を、おもに明治以降の新聞記事を資料にして跡づけた本です。日本人とクリスマスの関係については、すでに石井研士『日本人の一年と一生』(春秋社、2005年)などでも論じられていますが、しかし、時代ごとの推移をここまで丹念に描いた著作は、これまでなかったかと思います。明治初期にキリスト教が黙認されはじめると、真面目な信徒さんたちによるクリスマス・ミサが行われるようになります。この頃には他者の文化であったわけですが、その後、現在のような都市的な祝祭としてのクリスマスが開始され、日露戦争の勝利を契機として、クリスマスにらんちき騒ぎを行う風習が広がっていきます。これがどんどんエスカレートしていき、戦時期には沈静化するも、戦後に復活。その後、高度成長には家庭でのパーティーが中心になり、1970年代以降は女性主導の消費社会化によりカップル文化としての側面が強まり、現在では、ネット時代により適合的なハロウィンにやや押され気味、というような流れです。こうした流れが、新聞記事から拾った面白いエピソードたっぷりに、また著者一流のユーモラスな口調で解説されていきます。さらに、日本人によるクリスマスの受容の仕方を、キリスト教への反発という観点から考察しており、これは日本宗教史の一つの切り口としても、たいへん興味深く思いました。なお、いつもどおりと言いますか、本書には著者自身の価値観を前面に出した記述も少なくありませんので、この点、単に歴史を学びたい読者には、ちょっと余計かもしれません。まあ、評者は幸か不幸かこの著者と考え方が近いので、特に気にならなかったですが。

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